府中駅徒歩5分(多摩地区) NPO法人フリースクール多摩川 不登校支援
                         育児、学童保育、児童養護施設など集団の中で悩む子どもを見てきました。疎外感を持つ、空気がつらい。発達障がいや心的ストレスを理解してもらえない。皆、居場所や仲間を求めてます。 府中市府中町2-18-17。℡042-319-0408。http://freeschooltamagawa.net。リンクからも行けます。

それぞれの勇気それぞれのガス抜き (水曜ビデオ時間は?)

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今回は生きづらい子達、集団が苦手な子達の事情をよく知らない方が見ると、ずいぶん独善的だなと読める書き方になります。
あるいは「そういう事は公には出さないで、子供達の困り感を個で支援するほうが望ましいのでは?」の意見も正解であり、わたしたちも表現やお伝えに毎度悩むことは多い項目です。

ただ言えること。うちの子達は人好きで性格がいい、社会的な集団で過ごしたい望みが強いです。同時に、ものの感じ方、捕らえ方に癖があり、それがあたかも自分の望みと正反対の「個優先思考」「集団の意義否定」のような言動に終始しているように見えることもあります。ここが生きづらさになるわけです。その一見矛盾した?子供たちの望みを叶えるには(子供にはっきり認知させるのかどうかは別にして)大人や支える側がはっきりとさせていないといけないことがおあります。

それは、子供達の生きづらさの原因はさまざまだが・・・・・
多くの子は発達障害、心的ストレス、神経的な不調などの面から見ると「ボーダー」に当たるケースと言うことです。
ボーダーだからオブラートに・・・では大人はいいけど子供の方は(一昔とは違う)例外を許さない風潮の世で、わけの分からないうちに閉塞していってしまうんです。これまた誤解を受けそうな説明ですが、現代はある角度ではボーダーの方が真性よりつらい仕組みもあるわけです。

理想的な展開は子供が自己のボーダー的な癖を自分で認知、それを集団の中(人かかわりの中)でも困らないようにしていく工夫をオリジナルで作り上げていくことになります。さらに高難度には自分が困らないだけでなく集団(相手)を困らせない責任のようなものも必要になるのですが、それは教科書やマニュアルでは量れないので、簡単なことではないとも言えるし、知らないうちにできていることもある得ることです。必要なのは勇気や繰り返す力です。「生きづらい癖」ゆえに良い時と不調なときが交互にある子供達の不調から復活するためであったり、好調を維持するための勇気や力です。

NCM_6240.jpg 例えば「皆でアナログ事しよう」
 時間。個の事情や年代差が
 あるので簡単に皆で!
 と言われても・・・

 でも一生懸命参加します。
 これないときもあります。
 大人も「無理せんでいいよ」と
 言いたくなるほど
 つらそうに見えるときも
 あります。



だけど、勇気や力を出していますよ。参加できないときもどこかで意識はしていますよ

さて、たまには不安なくまったり集団意識を持てるかな?と思いまして、またリクエストもあったので、今度から水曜は2時半から「ビデオ鑑賞」にします。これもおとなが目論むほど気楽に捉えられない、事情が実は各自にあります。なので自由参加にしてみますね。どうなるかな? 
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ほうれんそうで誤解されて対応がむずかしいグレイゾーン グレイッシュホワイトゾーンの人

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今度、BBCなどにも放送記事を書いているイタリア人記者さんが取材に来てくれることになりました。日本の不登校問題の本質にせまる?ような記事だそうです。それをお受けしてからいろいろ考えて「そうだ、ここは自分でも改めて整理しておこうと思ったことを
ブログに書いてみます。うまく言えるかわかりませんが、私が言いたいことのメインは黒よりもグレー、さらにはグレイッシュホワイトと区分される人には行政支援や一般型支援はあてはめられないのはやむを得ない面もある。だから社会構造の隙間にはまりやすいので、形のあいまいな中でそのような人を支援と言うか、人として仲間関係でいることが肝心だと言うことになるかもしれません。

さて、本題です。ほうれんそうと言う話は集団の仕事やクラブ、サークル、地域会などを経験した人にはなじみがあると思います。そうです。報告、連絡、相談ですね?最近は企業の考えとして「こればかりやっていれば形だけ集団構成員になれると早合点する輩がいて、その人たちは集団の中でいつまでも自己対応力、責任感などが育めなくなる」と言う懸念を説く方もいます。まあ、確かに言えますがそれはそれとして。

このほうれんそうは例え上のような集団でなくても、例えば遊び仲間、なにかで集った仲間(家族も)、極端に言えば2人以上の意志共有した仲間(夫婦も)でもある程度必要になります。くだけて言うと「今何が起こっているか、誰がどう思っているか、どう動く予定か、それぞれの参加者が互いに分かり合っていないと集団でなくなる」からです

このため、職業集団だけでなく友達や家族などの間でもほうれんそうを省略して行動する人には落胆したり、指摘したりすることは増えます。そりゃそうですよね?「〇はなにも言わずに勝手にこうした、だから事前に確認しても返事から何考えてるかわからんし。仲間を大事に思ってるならそんな自己中のやり方しないよなあ。まず同じ目線での情報共有がなくては仲間空気はできないものねえ」

実はこれ学校や職場などでは阻害、からかい、いじめの元になることは多いです。
最初はモラハラ側がビビるんですね。(モラハラ側が悪いのは間違いないですが、そちらもなにかと越えなくてはいけない個人の困り課題、環境課題などがあるので一方的には裁けない時もあります。心が狭いのは性格のせいではないケースも多いわけでして)


話が逸れかけました。

発達障害の人が集団で違和感を持たれる、指摘される、時には責められる要素の多くに、この「ほうれんそうを大事に思っていないんじゃないかと疑われること」が多いです。無理もないんです。やり方はスクールのような体験繰り返し方を採用する、療育施設などで個で専門療育をする、いろいろありますが、なにしろスキル訓練をしないと致命的にほうれんそう軽視の人に見えてしまうのは確かなのです。また、このほうれんそうは「人のことを考える」「和を維持する」「自己中にならない」「節度を持つ」「場をわきまえる」などとも関連したことにも通じているわけです

発達障害の独自の認知の仕組みを知らない人から見れば「おいしいとこどり自己中、他人の都合を気遣えない人」に見えてしまうわけです。でも今は理解が進んでいますので「自らその特性を打ち明けておく」「協力を求める」などできる人も増えていますし、集団側にも「わざとではないんだな」「ほうれんそうや人との和の重要性は知っているけど、自己としての認知や他の複合的な物事と同時に考える応用などがうまく発想リンクできないから、あたかもそれらを軽視しているような行動(無行動)になっているので悪意はないな」と言う感覚も持てる人が増えています。
だから、極論を言えば「黒=発達障害の検査数値でそう診断されている人」「それを公にしている人」にはそうそう怒る人はいない理屈になります。

しかし、現実的には「検査結果では微妙、医師や心理士は健常ではないと思っている。でも困り感もそこまでではないだろうし。凹部分も成長期待できる、なのでグレーゾーンにします」これが多いんです。この人たちは世間のくくりの中では一般に属します。なので、周りはおろか本人にも発達障害と言うワードは用いずに癖として直そうね?気づこうね?として対応することも多いです。(ここで君は普通だしか言わないで放置対応していると自己癖に留意しないままで、ほうれんそうをはじめ、あらゆる社会での人かかわりのお約束行動が極端に弱いままで集団に出ることになり2次的なこまりが出ることも多いです。カテゴリーが一般なので特に周りには何も言わないでいると、人関わり行動の独自性が悪意から成り立っていると誤解を生むこともあり、性格が悪いように言われたりして。とても難しいところです。だから思い余った親御さんが「いっそグレーでなくて黒としてもらえたらいいのに」と感じてしまうことも気持は理解できなくはないと思ったこともあります。でもやっぱりグレーはグレーなのでそれが良かったと思えるような取り組みは必然かとも思いなおします。

さて、さらに話はややこしくなります。ここからは独自の考えです、でも仲間の医師や心理士、読んだ本、聞いた講習、自分の見てきた人たちを通して「たぶんそうじゃないかな」と思うことなので書きます。

特に発達検査を必要としないとして生きている一般の人にも発達凸凹は必ずあります。その数値が(数字は適当です)10だとはっきり発達障害と診断される、6以下4までをグレーと言われるとしたら、1から3は誰でも凸凹はあるんだと思います。それは誰にでもあっても自然な普通人です・・・・
ただ、その中には「ほうれんそう」あるいは「それに準じた社会的お約束」の認知や対応が弱い状況になりやすい人が結構います。私の場合、自身がそうでした。家族にもいます。過去友達にも複数いました、育てた子たちに結構いました。サラリーマン時代の上司部下にも複数いました、仲間にも複数いました。もちろん、だれでも精神的に不調だったり悩みがあったりすれば、社会お約束はどうでもいいモードにもなりますので、ここに書いたことは暴論です。実はその時だけのものも多いでしょう(すみません!)でも、特に不調でなくても、つい癖でそのような傾向に出やすい人は結構いることは間違いないと思うんです。(なぜなら皆、落ち着いている時、自分でそうのような癖があると言うから)

それで、この(グレイッシュホワイトと便宜上言います)状態にある人は「物の認知や全体把握、応用理解が一般である」とされていますので、つまり「わびさびも気遣いもわかる人」とみられます。なのに人関わりでのお約束行為を省略すると言うことは。「これはまさしく悪意であり甘えであり傲慢、自己中じゃないか」と周りに本気で責められるんです。

黒、グレー、白に近いグレー、構成的には右に行くほど人数は多くなる筈です。右に行くほど実態が分からず支援もなくなります。理論上は支援がなくても問題ない白とほぼ同じカテゴリーなのでそれも仕方ないし、しかも支援しようとしたら人権侵害のようなこともあり得ます。でもこれまで見てきて、その人たちの困り感は感じています。私は発達障害うんぬんは関係なく、このグレイッシュホワイト状態の人が安心して、元から持っているお約束スキルを素直に出せる環境で過ごすことが必要で、そこが充実してこそ、本当に困っている子の支援も幅が広がるような気がしています。(昔からありますが、人を責めることなく本人が気づくまで寄り添うような支援と似ているのかなと思っています)

ただ今回の件はブログでしか言えないし、普段の私の活動を見ている人にしか言えないのは確かです。誤解されるので。
でも、少しづつ皆で考えていきます。



どうして休むことが必要なのか?大人が理解できていると先は明るいです

NEC_0672_20161118075207f40.jpg これは「不登校」のくくりの話ではありません。
 
 つまり学校を休む意味ではなくて
 子供にとって「心」「頭」を休める必要が
 生じる時期についての考え方を書きます。


 純粋で潔癖な時期なので、その方法の
 ひとつとして不登校を選ぶことがありますが
 これまで多数の子供を見てきて感じたのは 
 「いろんなやり方で、どこかでうまく
 心や頭を休めながら、越えている子供の
 方が多いのだろう」とも言えます。

 大人になってからもこの「休むこと」を
 積極的に肯定的に自己コントロール
 できている人は揺れにくくなるように
 思います。

 
純粋で潔癖であることは、俗な言い方に置き換えると「不器用」「応用比較が弱い」「認知が独自」な状態になります。
これは軽度発達障がいのお子さんやなんらかの理由で心?が不安定になっているようなお子さんに極めて多いわけですが。人関わりや集団生活の中で自分と他者とでは認知の仕方が違うので、そこで苦しむことが出がちです。


ただし、その頻度や程度はもとの認知凸凹具合には差があるし、行動的に「おおこれは相手からの違和感でちゃうなあ」と見えていた子もスクールや学校、友人などで集団経験を繰り返すうち、認知凹が成長しますので「そこまで目立たない」ようになれます。
ちなみに認知凸凹は発達障害と診断されない一般児童にもたくさんあることです。(心の状態がアンバランスな子、純粋培養で育った子、幼児性残り過ぎの子とか母子共依存状態の子など)

でも、子供たちは必ず「今、何が話題かと感知するスキル、どう合わせるか考えるスキル」(考え方)は育ちます。
「本人がそれを成長させるのはめんどくさいと感じ、怖いと感じ、やみくもに我を通せる方法だけを模索している環境だと」そのまま年があがり凹のくぼみが埋まりにくいですが、いずれはどこかで必要な事は感じてきます。

例えば、うちの生徒たちは意識無意識の中でそこは向き合っています。それは相当のエネルギーが必要でもあります。なぜにエネルギーが必要なのか?

「おいおい」「空気読めよ」「合わせろよ」「関係ない話すんなよ」「勝手に自分都合だけで動くなよ」のようなことを言われてる、そう思われている可能性があることを凹の中で知ってきているのでそこと戦っているからです。かなりのエネルギーでしょう。そうそう器用に「じゃあ凹埋めよう」にはならない。どうしていいかわからない。はっきり意志出せない。どうも場の論点と自分の感じが違うようだがよくわからない。

だから、以下のような様子もたまにあります。
場にはいるけど、ボーと自分の世界にかい離しておるような間があります。電気もつけずに座り、じっと一点を見てるとか。皆が何かしている場にはいるけど、突っ立っているだけで何も意志出していないとか。そのような状態から急に何かをみつけると自分だけ場と違うことに入りだすのがやけにスムーズ(ある意味ではですよ?)すぎたりとか。

当初はこのような、私たちを「おい君、大丈夫か」と感じさていることを、本人はそんなに心配されるとは思っていないです。でも「なぜか、君はいいからとか、、これは手を出さないで」と言われる。逆に「なぜやらないの」と叱られることもある。ううむ、どうしよう」と感じています。

その中で、少しづつは「自分からは発想しにくいけど、友や場ともうまくやりたい思い」で凹減らしはやってきてるのです。
多くの子がそこの効果がでている自分で改善してきている、この時にはエネルギーもたくさん使っていますので大人が「よしよし!」と思っても「あれ。もう続けないの?」と戻ってしまうことの繰り返しもあります。これも悪くないのかもしれないと思います。

認知の凹が少ない人は「和とはこうあるべき」「相手の誠意をこう感じこう動く」「人は割と周りのことも見えているものだ」と自然にそう思っています。ですが、何かの理由で認知が弱い状態の子にはそこに合わせるのは苦痛でもあるのです。でもそうなりたいとも願っています。

今、生徒のほとんどが「明るくて気持ちが見えて、健康的なこども」です。訪れた大人は必ず「こんなに素晴らしい子がなぜ不登校を選んだの?」と言います。

だからこそ、時に子供たちを休ませる必要を感じます。そうやりながら信じていればいいと思います。

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親の責任だと誤解されることがない世の中に

NCM_4426.jpg 不登校のお子さんの中にも居ますが・・
 発達障がいとはどんなものなのか?
 多くの関係者支援者の説明が浸透して
 きて、かなり社会理解は進みました。 

 でも、そうは言っても人間、何十年もか
 けて培った自分の常識を簡単に崩せ
 ないのも事実でして、生きづらさに悩む
 子の味方であるべき人の無理解、偏見
 は依然として多いとも言えます。

 特に悲惨なのは・・・

「親の育て方が悪いからこうなっている」「家庭が悪いからだ」と言うとんでもない誤解が生じやすいことです。
それで子供はもちろん、親御さんも精神的暴力に近い責めを(親類、友人、教師)から受けてしまうことも、まだまだ多いのだろうと思うのです。

これだけは絶対にあってはいけない事です。

そもそもは「認知や発想に鋭いところと感じにくいところがある(凸凹)があるだけ」なのに、それが凸凹が無い人からはその仕組みがわからないので「なぜこの子はそんなに自己中?邪悪?狡猾?人に気を遣わない?」「そんな風になったのは育て方の失敗だ」と責めたくなってしまうわけでしょう。

ちなみにこの周囲無理解については3つの問題があると思うのです。

1、周囲の誤解を親御さんがその通りだと受け止めてしまう場合、かなり自分を責めます。すると子は全ての人からの無理解状況になり窮します。

2、反対に親御さんが勉強、研究してお子さんの状態を理解できても、周りの無理解対応に疲れ切ってしまい、知らぬ間に開き直ったような形になると、子供さんの理解支援者が増えにくいので、やはりお子さんは窮しやすいです。

3、そもそも凸凹は人間、誰にでもあります。凸凹差が大きいとき発達障がいと診断されるわけですが「そんなには大きくないけど人かかわりで困るレベルの凸凹、診断名はつけないけど支援理解が必要」いわゆるボーダーですね?
この場合の本人、親御さん、周辺の人の「受容や理解の求め方」は正解が誰にも示せないような所があります。軽度発達障がいでは、多くのケースではボーダー範疇に評されることは多いです。平たく言うと「ある人は発達障がいと認識してある人はそうではないと考える」わけです。でも、それがお子さんの不安や困り感が蓄積する要因にもなっていることが時に見られます。

いずれの場合にも(言葉的に嫌なんですが)お子さんは2次的障がい状態になりやすいです。
つまり本来の凸凹の困り度ではなく、もっと複雑で自害他害が目立つ状態です。
私たちがよく「お子さんは集団ではこうなっています」「家とは違うでしょう」「客観は受け止め、凸凹をゆるやか認知させて」と言うようなことを説明するのはすべて2次的な兆候についてです。「2次的な困り感を払しょくさせる対応は家でも必要ですね」とも言うのでボーダーの場合、話がややこしいんですが。(上記の1,2、3のどれかで言い方は考えます)


なにしろタイトルにあるように「親御さんが悪いんじゃない」が根幹です。「見た目ではまずわからないので、凸凹を悪意に誤解されやすい」「育て方の失敗などと言われやすいがまったく違う」これだけは何としても世間に認識させたいですよね?


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発達障害、明るくて愛すべき発達凸凹に戻すのは他人とのかかわりがポイントに

NCM_1259.jpg タイトルのお伝えしたい内容ですが・・
 杉山登志郎医師の本を紹介、
 解説している方の記事を引用させて
 もらいます。とても分かりやすいので。
 (半分は引用、半分は私が書いています)
 
 杉山医師は児童青年期精神医療、
 発達障害等の研究の第一人者で、
 不登校とひきこもり、選択性かん黙、
 強迫性障害、うつ病と双極性障害、
 気分障害、統合失調症、多重人格、
 大人の発達障害、母子アスペ問題、虐待、いじめなどの関連研究本をたくさん世に出しています。

(偏見や差別を生むのであまり表には出さない話題。。。)上記のような状況にあるとネグレクトや虐待が生まれやすい、それは誰が悪いと言うものではないのだから、しっかり理解して支援しよう。と言う意味で杉山医師は児童養護世界にも深くかかわられています。私も養護施設勤務時代にお話を伺ったことがあるのですが、とても人にやさしい説明をしてくださりました。

さて、研究で発達障害とは?こう表されています。
発達凸凹 + 適応障害 = 発達障害


発達凸凹とは、認知の高い峰と低い谷のことを指しています。

「一般的な子がすんなり理解する話や認知できる事柄が同じようには認識できにくい子」「簡単に想像できそうなことに気がつけない子」「必要な伝達方法や意志表現を思いつかない子」などと見え「あれ?」と周りが驚くことがある。主に7,8歳までに「あれ?」が目立ちはじめます。

乳児期、幼児期では、かれらはまだ発達障害ではなく、発達凸凹であるといえます。
でも、年齢を重ねるにつれ、環境とのかかわりのなかで、適応障害を起こしてきたとき、発達凸凹は発達障害になります。

適応障害を起こしていない発達凸凹は、マイナスとは限らず、特異な才能を伸ばせば、社会に大きく貢献する人材になります。
貢献は大げさでも一般的な生活の中でやっていける、好かれる、頼られる、助けられる、他人と互いを尊重しあう生活はできます。

適応障害を起こしてくるおおきな憎悪因子がトラウマだ、というのが、著者の考えです。

それはそうですよね?上の「  」の項目で一般的な人が簡単に認知や表現していることが理解できていないのに、それを悪意の結果のように責められるのですから。「どうしてわかんないの?」「何考えてるの?」「普通はさあ・・・」「空気読めよ」など言われ続けるのですから。この「普通」と言うワードは多くの子にトラウマを芽生えさせているケースは多く見ます。(大人でも、そのワードを言われ激しく怒る方も少なくないです)

発達凸凹を持つ子どもの場合、特に暴力的な支配関係の家族に育てられなくても、つまり、ごく普通の家庭で育っていても、その知覚過敏性や認知凸凹から、周りの世界はとても怖い世界で、不意打ちや秩序の混乱がしょっちゅう起こり、トラウマという視点から見れば、被虐待児に似た状況だということに著者は気づきました。被虐待児に行ったのと同じトラウマ処理の治療を行うと、フラッシュバックがなくなり、適応状況がよくなる例がたくさん出てきたのだそうです。ここですね?

発達凸凹を抱えて生まれてきたということが、そのままストレートに発達障害という現象に結びつくのではなく、生育の中で受けた心の傷が脳の生育を妨げ、発達障害やうつに発展するという説明は、とても説得力がありました。発達凸凹自体は悪いことではなく、むしろ長所として活かすこともできるのだということです。

なかなか専門的なのでわかりづらいかもしれません。

要は・・・・元からある凸凹と社会生活困り感のある発達障害とは分けて考えましょう。

家族は(本当は保護者さんはすごく勉強していて我が子が困らないようにあれこれ思案しています。でも家族の慣れがあったり似たような性格があったりするので)すべて凸凹と判断したい思いが生じることが多いのも確かです。(すみません)
子どもが凸凹があるね、でも良い子だね、仲間だねで済んでいるか、自分も周りも困っている発達障がいとして見るべきか判断は外社会、他人のとのかかわりが目安になるでしょう。

もし発達障害まで至っているなら凸凹段階まで戻れる子供の安心環境、子どもの自覚、周りの理解支援が大事だ。
つまり発達障害までに至ったトラウマや不可思議な代償行為の誤学習を外させることも外社会、他人の理解支援が必然なのです。ある程度、安心できる外環境、信頼できる他人との関わりが培えると、子供は自己の認知の独自課題を受容しはじめます。それを重ねるうちに凸凹だね、でもいいよね、認め合えるねの人間性も加味されてきます。

ここに書いたことは不登校児童の中にもかなり当てはまる子がいると思います。なにもフリークスクールに限りませんが、外社会、他人とのかかわりの中で単なる凸凹までに戻すこと、これは大きいと考えられます。そこから安心して「どう治すのか」ではなくて
「どうすれば凸凹で他とうまくやれるか」を一緒に考えることが大事なのだろうと思っています。もともとが明るくて素直で正直な愛すべき子たちです。


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プロフィール

とびたくん

Author:とびたくん
府中のフリースクール運営しています。児童養護施設職員、学童保育指導員、主婦、不登校ひきこもり経験者、保護者、元教師、大学生が仲間です。私も家族が障害に悩み不登校になった経験があります。「学校」に囚われず、フリースクールのほうが合う児童がたくさん居ると思います。学習、遊び、ゲーム、料理、イベント、わんこの触れ合いなど、安心できる場。同じ空間の住人と認め合う、何かしたくなる、知らぬ間にリズムや社会性が身につくのが理想です。安心や自信をつかんで復学した子もいれば、将来にむけて今はじっくり過ごしている子などさまざまです。自由です。皆で通じ合いましょう。
NPOフリースクール僕んち、NPO調布青少年の居場所Kiitos、NPOフリースクール全国ネットワーク、一般社団法人 発達心理ライフケア協会の皆様にご協力、ご指導いただきながら、生徒会員や保護者のみなさんと頑張っています。
お問い合わせメールはfreeschooltamagawa@vesta.ocn.co.jpです。

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