府中駅徒歩5分(多摩地区) NPO法人フリースクール多摩川 不登校支援
                         育児、学童保育、児童養護施設など集団の中で悩む子どもを見てきました。疎外感を持つ、空気がつらい。発達障がいや心的ストレスを理解してもらえない。皆、居場所や仲間を求めてます。 府中市府中町2-18-17。℡042-319-0408。http://freeschooltamagawa.net。リンクからも行けます。

緊張不安、極度のこだわりなどは・・・安心の人関り場で軽減、そこ本人の工夫が見えます。

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7年前、スクールを立ち上げて2,3年は小学生が数人生徒となっていまして、特に初めの頃は低学年が3,4人でした。我々も
何をしたらいいかなと思考錯誤しながら癒しわんこピーにおんぶに抱っこ?。あとはこのビーズをよくやりましたねえ。フリマで売るくらい皆で作りました。この頃、問い合わせてくれる中高生は「え?小学生しかいない?」と驚き見学もなかなか・・・・・

その後は高学年男子も入ってきて、だんだんウイーやプレステが一日のメインになってきたのですが、4年目くらいには皆が中学になることで、新しい入会も中学生が増えて、その子たちの数人は高校生にとなっています。大学もいますね。
今は・・・問い合わせの小学生保護者さんが「え?そんなに中高生の館状態なんですか・・・」うう難しいです。

こうして思い返すといろいろあります。(当たり前)

と、急に話が変わりますが、昨日の補足です。発達障害やグレーゾン、あるは不安恐怖や自律神経不調などのお子さんたちとの関りについての補足です。連日になりますが、特に支援側にとってはこれも大事なので言いたくなりました。(学校を含め、いろいろな児童支援の場で、家庭でと言う意味です)

困りを抱える子どもたちの狭い成功願望、こだわり、自己正義の応用力のなさ、緊張不安などはいろいろな形になって児の言動に出てくるので、本人は真剣に引っかかっていることも多くて支援側も「え?そんなことに?」と驚かされることはこれまでたくさんあります。(当初は周りは、それ大事なポイントでなく逃避や言い訳だろうと誤解してしまいがちなことが多いんです)

引っかかるポイント、これはもういろいろあるけど、あえて大きく言えば、どの子も似ているところですね。
この当人の緊張不安とかこだわりとか自己正義を理解して児と共有することは、それらが感覚的に未知な支援側にとっても、かなり難しいこともあります。ただ言えることは児は、とてつもなく怖いというか表せない困りと言うかそんな重いなにかを背負った姿で人の場にいるんです。

でも、子どもたち。好不調の波もありますが。人関りを安心してできる場で、揺ら揺らもしますが。時間をかけて自ら工夫していくこと、そして緊張緩和や物事に極度に拘らずに動けるようになる。いろんな子に寄り添いながらそれは見て来ています。

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受容、告知 難しいテーマです。支援側が整理できないケースはとても危険です。

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写真は「ひだまり好きな奴らののんびり」ですが、今回は人によっては重い話題です。

スクールの生徒が皆、特性事情があるわけでもなく、これは私がいろんな場で支援、関りをしてきたお子さんのことも含まれますし、具体的に個人を限定したものでなく、広く発達障害やグレーゾーンにあるお子さん(人)への好ましい支援、見守り模索の中、「受容、告知」の話です。

普段から医療や心理、教育、保育、人の親、そうした仲間との話でもこのようなことを相談する、一緒に考えることは多く、それが元になっていますので、今回の話は私の一人善がりと切り捨てられるようなことはないと思います。
ただ、重複しますが、人によっては外に広げないでほしい話、個的に聞きたい話と感じる場合もあります。
なので、最近よく見る「閲覧注意」とタイトルにつけるケースなのかも知れませんね。
発達障害傾向で困っている人の支援を意識している方(親御さんも)、世間は発達障害をどう捉えるべきなんだろうと考えている方には見てほしい内容になります。

さて、発達障害特性の受容は必須です。でも告知のやり方、時期については賛否両論あふれています。

発達障害を告知された子は「ああ、自分の性格が責められているわけでなかった」
「自分は悪い子でなかったんだ」と納得してかなりいい状態になる子もいれば、
「え?障害!」「治らないのかな」と落ち込み、
2次的な困難を抱えてしまうケースもかなりあります。

私のその傾向にあるお子さんと触れ合うと、親御さん(施設では職員間や心理士ですが)にどんどん、お子さんの生の状況を知ってもらうようにして特に「特性的に影響しあう様相も凹すぎること」「影響させている側する側、お互い様のようなこと」
「子どもはそれらを客観的にはなかなか気付けにくい場合が多いこと」
が山積していることを説明します。

しかし、私は子どもたちに対しては、ずばりは障害とは言いません。
「君にはこんな人関りの困りがあったようだね、気付いていないこともあるし何となく気付いていることもあるだろう。いずれにしてもそれは学校や友人関係などでつらかったはずだ」
「その困りを少なくして過ごす方法を一緒に考えよう、元気になってきたら、将来のためには多少の集団振る舞いも練習するのもいいね」と言うことを添えて、なにかするときの投げかけをします。

なので例えばですが、その子の普段を見ていて
「周りの子を待てずに得意なことをがんがんしてしまい、しかも他者の領域も入り込んでしまうのでグループ行動にならん、まるで周りの子を人数合わせ役、自分が気持ちよくなるための引き立て役にしているように見える」とか
「興味の無いことや即成功予測が想像できないものごとに直面すると、やっても意味がない、めんどくさいと言うすり替え意識が頭を占めてしまう。態度や表情も能面のようになり、意志無し、無反応が増えてしまうからグループでは他者に困られることになっている」

と言うような特性困りについては。
本来ならばその子に「君は特性的に気付けないだろうが、実はこんな風になっているんだよ。でも、特性で無意識にそうなっているから性格がいけないんじゃないし気付けないのも仕方ないんだよ」と説明したうえで、「その癖をすくなくするスキルトレーニング、その癖を他者に告知して誤解減らしの工夫協力を頼むなどもやっていくのが大事なんだよ。こんな解説も大事です。

でも、実際は先ほど書いたように、発達障害特性とかグレー的特性などの本当のことは入れないで子どもたちに投げかけているわけです。やはり、受容していない子に「障害」とか「一般人と違う」と言うことを突きつけられないんですね。ショックを与えてしまいますから。

だけども「自分はよく親や周りに空気よめない、かみあわない、自己中といわれる」
「努力がたりないからだ弱いからだ」「何度言われても人を怒らせるのは自分の性格が悪いからだ」
子どもはこのような自己責めをしてきているんです。

そのまんま、それは特性であり、誤解されやすいのは君の性格のせいでないんだよ。
君は性格のいい子なんだよ、と早めに楽にしてあげたい面もあるわけです。

意識化に自己責めがある子は「他者非難に意識が行き過ぎる、相方役限定対人しかできないとか、しまいに一人で閉塞するなどの2次的な困り」はなかなか改善しないんですね。

しかし、しつこいですが。

子どもへの告知の際、子の受容のショックには相当の配慮が必要でもある。ここは難しいです。医師や心理職も同じく難しいことと話しています。

と、結論がなくて「ケースバイケースだね」「子が自らあれ?なんか自分は人と違うぞと意識してきたらだね」となるわけです。それはまあ、理にかなっているとも思います。

でも、障害とかグレーとかのワードを使うことは避けても、とにかく「君の性格は邪悪でも自己中でもなく、君はいい性格なんだ」と言う本当のことは勘違いして自己卑下しないようにしていないとダメです。そこは大人があらゆる工夫をして「こう見えるけど、それは君の本意ではないことは知っている」と示してください。

客観証拠を元に精神論、根性を叱るのは定型発達している子にやることです。

「発達障害?そう見えないよ」と思われる(励まされる)からこそ、当事者は大変という理解

20180406_124417.jpg 今回の記事はかなり長いです。
 
 書いている側とすれば
 その理由はこうだからですと
 説明したいところです。

 それは・・・
 このテーマは複雑なこと
 (元の素因から2次、3次のテーマに
 広がり整理しにくいこと)
 そこに誤解も多いことであり、
 当事者も周りもの人も支援者も
 よく混乱することだから、より丁寧に
 書くとこうなってしまうからです。
 
もしも発達障害傾向のある人やグレーゾーンにある人は、このような長くて複合要素のある文章は読み解けない特性もあります。子どもとは限りません。でも、みんな、どんな形であろうが、ここに書いてあるようなことを知覚していき、周りに理解を求めるようになると、かなり生き生きとした生活をできるようになっています。(私の少ない経験と見聞きしたことをあわせて)

また、支援側(特に発達障害等に特化した支援でなく教育保育養育と言うカテゴリーでも)もこのことは知っているのと知らないのでは、当事者の2次、3次困りを軽減させられるかどうかの大きな違いになります。すさまじい時は支援側の無理解が2次、3次困りの大元になっているケースはかなり見られますので、ぜひ時間をかけて見ておいてほしい、留意してほしいことでもあります。

私見は入っています。普段から医療や心理職の仲間とはこのような話は繰り返しており、そこは大きくはずれてはいないと思ってはいますが。
 
発達障害(グレーゾーンの子も) ほとんどの子にあるあるの(集団行動や対人常識と言う意味で)
困りや誤解されやすい、むかっとされやすい面は。例えば・・・・

1、しらけた物言い
2、無表情、無反応
3、集中の弱さ
4、他動的
5、しつこさ、念押しばかり繰り返す。一方的。
6、興味が動いてしまう。興味が偏る。
7、言い訳のような話を正論化する。独善的。
8、成功願望に根拠(努力すること)が弱い
9、常に自分を特別に扱う環境でないと困る
10、その相方役、意図するままに動く少人数組がほしい、仕切りたい。
11、偉そうに言う
12、ピンチにはすぐ卑下する
13、どんどん話の根幹がずれるが気付かない
14、程度がわからない、強すぎ弱すぎ両極端になる。

このようなことは発達障害の子どもたちの状況として説明にでます。
これを特性や心的症状の影響と解説はします。本当にそうだし。

でも、細かく見ればもっと深いものが大元、その複雑な素因は山積です。

例えば

1、数人は「情報処理認知に難があります」
2、数人は「認知してもすぐに記憶メモリーから情報がもれる傾向があります」
3、数人は「考えを構築するときに発想、構想、努力、結果と言うように道筋を立てる力が弱いです」
4、数人は「人と自分の喜怒哀楽ポイントが違うことを怖がって居ます」
5、数人は「例えば漢字、例えば文章、例えば数字に対する理解速度が他者のようになりません」
6、数人は「小さいときから正直者であれと教育され、そうしていたらよく叱られ自己否定が大きくなっています」


もっともっとありますがこのくらいで。

このような個々の特性や心的兆候による混乱、不安が元で大雑把に「集団だと困る特性なんです」「人が怖い心的症状なんです」「人不審なんです」「コミニケスキルが弱い」「自己中」「空気よめない」と表現されていくわけです。

特に他の子に知られたくない思いで集団ですごしているからこそ上の1から14が出てくるような側面も大きいわけですし。

本来なら、上の1から14に挙げた項目は「発達段階、つまり少年期から青年期には誰でもあります」
それなのに一般的な子どもは問題にならず、その子だけ困った子だとされるのはなぜか?
それは児の行動は「程度」「優先順位」「表現」「受け入れ」の仕組みが一般とは違い、独特なので違和感を持たれるからです。

「知的に遅れがある」「精神的な乱れがある」障害ではないので、なんて言うのでしょうか物事の教科数値的理解度はかなり高い部類に入るんです。でも、その理解を一般的に応用する運用する能力が発達遅れなんです。

ここも誤解されやすいところなんです。行動所作を見て「他の子が理解できることが理解できないみたいだよ」と誤解されやすいんです。
誤解する側も悪意はないです。だって「理解していたらそんな態度しないでしょ?」と感じるのは発達障害を知らない善意の人の感覚でもありますので。でも、しつこいですが、教科数値的根幹を理解できない障害ではないと言うことは支援側は絶対にわかっていないといけないことなんですね。


また、児も大人になるまでには「こう見られやすい事実」は認知して解消策や無理しないでなんとかする策は見つけないとならない、そこは家庭とかカウンセリングは大きいと思います。

発達障害の人、グレーの人、成功している人はたくさんいます。その多くは(やり方の程度はいろいろ)自己の癖を周りにちゃんと言えている人であるのは言うまでもありません。それは「理解して助けてね」と言う意味もありますが、実は「誤解させて申し訳ない」と言う気持ちも相手に伝えているからなんです。
 
もっと具体的な参考資料は張っておきます、仕組みを知りたい人は「具体説明です」を押してください(なるべく見てほしいです)
具体説明です

それぞれの勇気それぞれのガス抜き (水曜ビデオ時間は?)

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今回は生きづらい子達、集団が苦手な子達の事情をよく知らない方が見ると、ずいぶん独善的だなと読める書き方になります。
あるいは「そういう事は公には出さないで、子供達の困り感を個で支援するほうが望ましいのでは?」の意見も正解であり、わたしたちも表現やお伝えに毎度悩むことは多い項目です。

ただ言えること。うちの子達は人好きで性格がいい、社会的な集団で過ごしたい望みが強いです。同時に、ものの感じ方、捕らえ方に癖があり、それがあたかも自分の望みと正反対の「個優先思考」「集団の意義否定」のような言動に終始しているように見えることもあります。ここが生きづらさになるわけです。その一見矛盾した?子供たちの望みを叶えるには(子供にはっきり認知させるのかどうかは別にして)大人や支える側がはっきりとさせていないといけないことがおあります。

それは、子供達の生きづらさの原因はさまざまだが・・・・・
多くの子は発達障害、心的ストレス、神経的な不調などの面から見ると「ボーダー」に当たるケースと言うことです。
ボーダーだからオブラートに・・・では大人はいいけど子供の方は(一昔とは違う)例外を許さない風潮の世で、わけの分からないうちに閉塞していってしまうんです。これまた誤解を受けそうな説明ですが、現代はある角度ではボーダーの方が真性よりつらい仕組みもあるわけです。

理想的な展開は子供が自己のボーダー的な癖を自分で認知、それを集団の中(人かかわりの中)でも困らないようにしていく工夫をオリジナルで作り上げていくことになります。さらに高難度には自分が困らないだけでなく集団(相手)を困らせない責任のようなものも必要になるのですが、それは教科書やマニュアルでは量れないので、簡単なことではないとも言えるし、知らないうちにできていることもある得ることです。必要なのは勇気や繰り返す力です。「生きづらい癖」ゆえに良い時と不調なときが交互にある子供達の不調から復活するためであったり、好調を維持するための勇気や力です。

NCM_6240.jpg 例えば「皆でアナログ事しよう」
 時間。個の事情や年代差が
 あるので簡単に皆で!
 と言われても・・・

 でも一生懸命参加します。
 これないときもあります。
 大人も「無理せんでいいよ」と
 言いたくなるほど
 つらそうに見えるときも
 あります。



だけど、勇気や力を出していますよ。参加できないときもどこかで意識はしていますよ

さて、たまには不安なくまったり集団意識を持てるかな?と思いまして、またリクエストもあったので、今度から水曜は2時半から「ビデオ鑑賞」にします。これもおとなが目論むほど気楽に捉えられない、事情が実は各自にあります。なので自由参加にしてみますね。どうなるかな? 

ほうれんそうで誤解されて対応がむずかしいグレイゾーン グレイッシュホワイトゾーンの人

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今度、BBCなどにも放送記事を書いているイタリア人記者さんが取材に来てくれることになりました。日本の不登校問題の本質にせまる?ような記事だそうです。それをお受けしてからいろいろ考えて「そうだ、ここは自分でも改めて整理しておこうと思ったことを
ブログに書いてみます。うまく言えるかわかりませんが、私が言いたいことのメインは黒よりもグレー、さらにはグレイッシュホワイトと区分される人には行政支援や一般型支援はあてはめられないのはやむを得ない面もある。だから社会構造の隙間にはまりやすいので、形のあいまいな中でそのような人を支援と言うか、人として仲間関係でいることが肝心だと言うことになるかもしれません。

さて、本題です。ほうれんそうと言う話は集団の仕事やクラブ、サークル、地域会などを経験した人にはなじみがあると思います。そうです。報告、連絡、相談ですね?最近は企業の考えとして「こればかりやっていれば形だけ集団構成員になれると早合点する輩がいて、その人たちは集団の中でいつまでも自己対応力、責任感などが育めなくなる」と言う懸念を説く方もいます。まあ、確かに言えますがそれはそれとして。

このほうれんそうは例え上のような集団でなくても、例えば遊び仲間、なにかで集った仲間(家族も)、極端に言えば2人以上の意志共有した仲間(夫婦も)でもある程度必要になります。くだけて言うと「今何が起こっているか、誰がどう思っているか、どう動く予定か、それぞれの参加者が互いに分かり合っていないと集団でなくなる」からです

このため、職業集団だけでなく友達や家族などの間でもほうれんそうを省略して行動する人には落胆したり、指摘したりすることは増えます。そりゃそうですよね?「〇はなにも言わずに勝手にこうした、だから事前に確認しても返事から何考えてるかわからんし。仲間を大事に思ってるならそんな自己中のやり方しないよなあ。まず同じ目線での情報共有がなくては仲間空気はできないものねえ」

実はこれ学校や職場などでは阻害、からかい、いじめの元になることは多いです。
最初はモラハラ側がビビるんですね。(モラハラ側が悪いのは間違いないですが、そちらもなにかと越えなくてはいけない個人の困り課題、環境課題などがあるので一方的には裁けない時もあります。心が狭いのは性格のせいではないケースも多いわけでして)


話が逸れかけました。

発達障害の人が集団で違和感を持たれる、指摘される、時には責められる要素の多くに、この「ほうれんそうを大事に思っていないんじゃないかと疑われること」が多いです。無理もないんです。やり方はスクールのような体験繰り返し方を採用する、療育施設などで個で専門療育をする、いろいろありますが、なにしろスキル訓練をしないと致命的にほうれんそう軽視の人に見えてしまうのは確かなのです。また、このほうれんそうは「人のことを考える」「和を維持する」「自己中にならない」「節度を持つ」「場をわきまえる」などとも関連したことにも通じているわけです

発達障害の独自の認知の仕組みを知らない人から見れば「おいしいとこどり自己中、他人の都合を気遣えない人」に見えてしまうわけです。でも今は理解が進んでいますので「自らその特性を打ち明けておく」「協力を求める」などできる人も増えていますし、集団側にも「わざとではないんだな」「ほうれんそうや人との和の重要性は知っているけど、自己としての認知や他の複合的な物事と同時に考える応用などがうまく発想リンクできないから、あたかもそれらを軽視しているような行動(無行動)になっているので悪意はないな」と言う感覚も持てる人が増えています。
だから、極論を言えば「黒=発達障害の検査数値でそう診断されている人」「それを公にしている人」にはそうそう怒る人はいない理屈になります。

しかし、現実的には「検査結果では微妙、医師や心理士は健常ではないと思っている。でも困り感もそこまでではないだろうし。凹部分も成長期待できる、なのでグレーゾーンにします」これが多いんです。この人たちは世間のくくりの中では一般に属します。なので、周りはおろか本人にも発達障害と言うワードは用いずに癖として直そうね?気づこうね?として対応することも多いです。(ここで君は普通だしか言わないで放置対応していると自己癖に留意しないままで、ほうれんそうをはじめ、あらゆる社会での人かかわりのお約束行動が極端に弱いままで集団に出ることになり2次的なこまりが出ることも多いです。カテゴリーが一般なので特に周りには何も言わないでいると、人関わり行動の独自性が悪意から成り立っていると誤解を生むこともあり、性格が悪いように言われたりして。とても難しいところです。だから思い余った親御さんが「いっそグレーでなくて黒としてもらえたらいいのに」と感じてしまうことも気持は理解できなくはないと思ったこともあります。でもやっぱりグレーはグレーなのでそれが良かったと思えるような取り組みは必然かとも思いなおします。

さて、さらに話はややこしくなります。ここからは独自の考えです、でも仲間の医師や心理士、読んだ本、聞いた講習、自分の見てきた人たちを通して「たぶんそうじゃないかな」と思うことなので書きます。

特に発達検査を必要としないとして生きている一般の人にも発達凸凹は必ずあります。その数値が(数字は適当です)10だとはっきり発達障害と診断される、6以下4までをグレーと言われるとしたら、1から3は誰でも凸凹はあるんだと思います。それは誰にでもあっても自然な普通人です・・・・
ただ、その中には「ほうれんそう」あるいは「それに準じた社会的お約束」の認知や対応が弱い状況になりやすい人が結構います。私の場合、自身がそうでした。家族にもいます。過去友達にも複数いました、育てた子たちに結構いました。サラリーマン時代の上司部下にも複数いました、仲間にも複数いました。もちろん、だれでも精神的に不調だったり悩みがあったりすれば、社会お約束はどうでもいいモードにもなりますので、ここに書いたことは暴論です。実はその時だけのものも多いでしょう(すみません!)でも、特に不調でなくても、つい癖でそのような傾向に出やすい人は結構いることは間違いないと思うんです。(なぜなら皆、落ち着いている時、自分でそうのような癖があると言うから)

それで、この(グレイッシュホワイトと便宜上言います)状態にある人は「物の認知や全体把握、応用理解が一般である」とされていますので、つまり「わびさびも気遣いもわかる人」とみられます。なのに人関わりでのお約束行為を省略すると言うことは。「これはまさしく悪意であり甘えであり傲慢、自己中じゃないか」と周りに本気で責められるんです。

黒、グレー、白に近いグレー、構成的には右に行くほど人数は多くなる筈です。右に行くほど実態が分からず支援もなくなります。理論上は支援がなくても問題ない白とほぼ同じカテゴリーなのでそれも仕方ないし、しかも支援しようとしたら人権侵害のようなこともあり得ます。でもこれまで見てきて、その人たちの困り感は感じています。私は発達障害うんぬんは関係なく、このグレイッシュホワイト状態の人が安心して、元から持っているお約束スキルを素直に出せる環境で過ごすことが必要で、そこが充実してこそ、本当に困っている子の支援も幅が広がるような気がしています。(昔からありますが、人を責めることなく本人が気づくまで寄り添うような支援と似ているのかなと思っています)

ただ今回の件はブログでしか言えないし、普段の私の活動を見ている人にしか言えないのは確かです。誤解されるので。
でも、少しづつ皆で考えていきます。



プロフィール

とびたくん

Author:とびたくん
府中のフリースクール運営しています。児童養護施設職員、学童保育指導員、主婦、不登校ひきこもり経験者、保護者、元教師、大学生が仲間です。私も家族が障害に悩み不登校になった経験があります。「学校」に囚われず、フリースクールのほうが合う児童がたくさん居ると思います。学習、遊び、ゲーム、料理、イベント、わんこの触れ合いなど、安心できる場。同じ空間の住人と認め合う、何かしたくなる、知らぬ間にリズムや社会性が身につくのが理想です。安心や自信をつかんで復学した子もいれば、将来にむけて今はじっくり過ごしている子などさまざまです。自由です。皆で通じ合いましょう。
NPOフリースクール僕んち、NPO調布青少年の居場所Kiitos、NPOフリースクール全国ネットワーク、一般社団法人 発達心理ライフケア協会の皆様にご協力、ご指導いただきながら、生徒会員や保護者のみなさんと頑張っています。
お問い合わせメールはfreeschooltamagawa@vesta.ocn.co.jpです。

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