昨日もゲーム、本、勉強と各自が、時間を守り
自分の決めたテーマをやりつつ過ごしています。

夕方からはお約束の運動タイム!!
皆にサービスして??一緒にやり出す私は
いつも我を忘れて暴れるので、
翌日は50肩再発。
でも皆の笑顔は楽しい
さて、保護者ブログ更新されました。
その中でお褒めの言葉、とても嬉しかったです。
この業界ではまだまだ経験の浅い自分ではありますが、それなりに育児、保育分野で
活動していく中、悩むこと、考え込むことは少なくありません。
「整理できないなあ。少しは分かったつもりでいても、本当にこれでいいのだろうか?」
と活動しているいろんな場所で、思い入ることばかりです。
特に「原因が分からないまま子供が一番苦しんでいる、誤解されていること」
をどうとらえてあげればいいのかは永遠の課題なのかも知れません。
言動や思考の仕組みが他の人と違う子は結構たくさん居ます。
悪意がないままに「他の人を傷つける言葉」を発したり「輪を乱す行動」を
していることになる場合もあります。
原因はさまざまでしょう。子供に「発達障がい」がありそうなっている場合、
出生時や幼児期にいたたまれない状況下にあって「PTSD」「愛着障がい」など
を持ってしまっている場合、現在の家庭や学校に「著しく不安感をあおるような
事柄」がある場合、単に「児童の幼さや不安や甘えの裏返し行為?」の場合などなど。
この中で1,2番目は子供に「単純に叱る」「周囲が迷惑していると窘める」のは
危険であることは言うまでもありません。(悪意がないのですから)
また、個々の程度によっても対応は変わってきますし、根の部分とは別に
ずっと子供の特性を理解されないままで「単に言動を悪とされてきた」ことで
極端な自己否定や被害妄想を持ってしまっている子供もかなりいます。
(周囲には当人がそこを気にしていることがつかみにくいのも特徴です)
1,2にある児童は「人を傷つけている」ように見られますが
「人から同じようにされると誰よりも絶望します。」あるいは
「そんなにひどくされていないのに被害者感覚が強くなりがち」です。
あげくに「自分は自己中心で横暴なくせに、なんで君は意地悪されたと訴えるの?」
と叱られます。 (悲しい記憶ですが、私も家族に叱った時期は長いです。)
整理できる結論がないので長くなってしまいました。

児童や私たちが「どう要因や特性を理解するか、どう共通認識するか」
「どう仲間や周囲に理解を求めるか」がポイントなのでしょう。
「将来、仕事なり生活なりを堪能できるスキルを養う意味でも、考えることや
いろんな体験を重ねていくことが肝心なのかなと思っています。
