今回は半分私的な話題です。意味不明なタイトルですが、最近このようなことを感じる機会が
増えてきました。それだけ年だといえばそれまでですが、結構若いときにも感じたこともある気もします。
これまたうまい語彙が見つかりませんが、人は喜怒哀楽のなかで満足感や納得感を得て行き、それがどこかで誰かと、あるいは何かと、つながっていくことで社会的な幅もつくっているのかなと思われます。

具体的な話ですが。個人情報的なこともありアバウトに説明します。
実は火曜は近隣の市のスクールソーシャルワーカーさん(女性)が来てくれました。学校で担当されている児童がスクールに入会したので見に来てくれたわけです。そこで、あいさつを交わすうちに「え?」と互いに驚き喜び合ったことがあったのです。
彼女は以前は児童養護施設で働いていたそうで私と同じです。どこで働いていたのか訊くと私が十数年前、短期里子(土日とか長期休みに家に招き家族として触れ合う、児の家庭感覚を養う、特定の人との愛着形成を促すなどを目的にしている)として関わった子の所属している施設だったのです。いろんな事情があってその子とは継続して会うことがままならなくなってしまいました。でも私は何人かの里子の中でもかなり気になっていた子なのです。(その理由も個人情報なので説明できない)
彼女に訊くと、私たちの家が関われなくなってしまったあと、彼女が担当していた児童でした!
私の懸念通りに揺ら揺らもして、彼女も寄り添いに懸命だったそうですが今では児童が努力成長して、とてもいい状態だと言う事を聞けました(これあまり詳しく話し合うと、お互いに守秘義務違反になりますのであくまでもアバウトに話したわけですよ?)
そしてその子が今通っている学校は、かつて私の家で暮らしていた元里子(今は無事親元で生活)も通っている学校の可能性が高いです、年齢も同じです。きっと友達になっているに違いないと思うことにしました。
その後は彼女といろんな児童の寄り添い支援について話せました。○市はこのような経験をされているスクールソーシャルワーカーさんがいるのはとてもいいことです。もちろんスクールは地元府中市でもこのような各ワーカーさんにはなにかとご協力、ご支援、ご指導いただいていますが。ずばり頼りになる方々は資格うんぬんではないですね、人間性だったり社会性が豊かな人、ご自身の経験が生かされている人は生身の子供(親)とのかかわり方に味があります。この味、言葉では説明できるものでないですよね?こどもが感じることです。
うちの生徒たちも「出来ることやりたいことにどんどん手をだす。半端でも失敗でもいい。」
「どこかでなにかに、間接的にでもつながっていくことはあるから」「事前に計算できることではないから面白い」
そんな意識を持っていける青年期になってほしいです。

写真は新スクールの内部です。ピンボケありますね。
ベランダはまたわんこの聖地かな、今度はよそ様の家が近いのであまりほえないでほしいですね。
キッチンは本格的です、レシピ研究が大変ですが面白そうですね。
他にすごく広い部屋もありますんで出来ることやりたいことを子供会議で考えていこう!
