

タイトルにあるような投げかけは子ども青年支援の場ではよく耳にする、
とても、愛ある大人の応援言葉ですね。
でも、現場にいる子ども青年としては「ちょっとは嬉しいけど、さて困ったなあ」もかなり感じます。
私たちとしては、子どもたちに比較的制約のない状態を作りながらも、さて困ったなあと反応する子は見込みあるなとも感じる時がかなりあるわけです。もちろん、多くの子はこれに該当します。
人間はある部分では、他人や社会に制約を受けることも全うする、それも喜びの一つとしていないと、そうそう好きなことは見つからないんです。あまり自由だぞと言われても不安なんです。俺って本当に好きなことがないんだわと変に正直になったりして・・・。
世の中の大半の人は「俺には自由がない」「やりたいことができない」と思いながら、そこで安定している部分もあるんだと思います。そこから壁を越えてやりたいことをできるような工夫をする事こそが良い状態、自由なんだと思うんです。
大人なら自由の中に自己責任とか社会のルール遵守などの前提があることがわかっています。
写真は個別学習、個別自習、プログラミング自習、最後は皆で競うゲームの勝敗表手作りです。
なんでも自由だよと言われるだけだと、これらは子どもから出てこないものが多いですね。
皆、無理やりやらせてはいません。選ぶ自由のなかでやっています。
各自が満足げに達成感は表しています。良いことなんです。
特にスクールのような場では。
これらを「既成概念では肯定される行為だが自由の対角線にある行為だ」「大人が提案したから自由ではない」と子どもが誤解する教え方はいけませんよね?
