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府中駅徒歩5分(多摩地区) NPO法人フリースクール多摩川 不登校支援
                         育児、学童保育、児童養護施設など集団の中で悩む子どもを見てきました。疎外感を持つ、空気がつらい。発達障がいや心的ストレスを理解してもらえない。皆、居場所や仲間を求めてます。 府中市府中町2-18-17。℡042-319-0408。http://freeschooltamagawa.net。リンクからも行けます。

発達障がい、社会的に障害として認める、そう扱われる方がいいのか?

NCM_3381.jpg 今回は10数年、自分なりに
 自閉的な特性のある子ども
 (大人も)と関わって実は
 結論が分からない。
 そのことを書きます。

 勉強不足や思い込みで
 読んでいる方に不快感を
 与えてしまうかもしれませんが
 正直に日々、ふと過ることを
 書いてみます。 

 ふと悩むこととは・・・障害認定のことです。これは手帳うんぬんではなくて、
 周りに理解協力を求めるうえで、社会的に「障害」として認められる方が
 いいのかどうかについてです。
 もっと言うと。(私の身内は精神障害者ですが)いわゆる障害者と同じよう、生活枠を
 また健常者との共存可能な生活様式を福祉的に整備してもらう必要があるか?
 それが発達障がいを持つ人にとって、安心や生き生きをもたらすのか?です。

 普段、私は9割がたこれは考えません。名前は障がいでも「特性」「特徴」「種類」と
 言うべきものだし、そもそも、パーツ的に当事者の言動を見れば「健常」なのです。
 それを変に区分けして差別を生むのも良くないし、たまたまパーツの組み立て方が
 一般的でないとか、あるパーツだけ気づかないだけで障害ではないと思ってます。
 しかもそのパーツ組み立てや抜けたところの穴埋めは、経験や感覚感知である程度は
 カバーできるんだから・・・・と、こう考えているわけです。


 だけど、時に(一般的な目でしか見ない集団では)誤解されてる、困られてる、
 あるいは、当事者もその気配を何となく感じて、落ち込む、パニックになる、
 場に怒っている、それなら障害として打ち明け、共存のための理解協力を求める方が
 いいのかとよぎる事もある訳です。どんな時、私がそう感じたかをお伝えします。

 今回は長くなるので「なぜそう誤解されるのか」は書きませんが、学校、学童、施設、
 スクールなどで「ああ周りにはこう見えるだろうな」「見えるだけでなくて当人は
 それが自然だと動いてるな」 「もしかしたら障害として社会が受け取るべきかしら」
 と私が考えを改める方がいいのかな?と、 ふと過ぎるような事例だけ書きます。

あくまでも、特性について知らない仲間、集団での出来事です。

本人(または似た特性のある子と一緒にもあります)が楽しいと思ってやっていることが、一般には「くだらない」「つまらない」「しつこい」「同じことをくりかえす」「げんなりさせる」と見えます。これが相当な比重です。また、一般的な子が楽しいと思っていること、特に状況で面白さが変化することや発展的な事などにすんなりと入れず、それを侮蔑的な攻撃や周り無視で防御しようとしたりします。

(ギブ&テイク)が暗黙のお約束である友達関係が特性ある子にはできない、利己的、自分優先、相手へのお返し気持がないようにみられる。誠意?を出せば出すほど、それらを前面に出し、わびさびなく人を操るような動きに見えるので友が引く。友達がいのない子と思われ怒らせる。一般集団側は、その子が暗黙のお約束を表現できず、常に自分のことしか言わない、自慢してるように聞こえる、人を馬鹿にしてるような言い方に聞こえるので違和感を持ち、仲間にしたくない感覚をもつ。当人はそれら自己感覚へのこだわりが強いと言うか、一般と噛み合わないまま時間経過することへの危機意識は感知できにくい。なので、友達に対してとか、自分が属する集団に対する意思だしも必要なときに出来ないでいるケースも多く、「こっちはこんなにやきもきしてるんだぞ」「属するなら場に気を遣ってちゃんと言えよ」「先に言えよ」なんて責めにあいがちです。
(時に何でも言いなりになって自分がない、意思がない人に見えるパターンもあるが根本は同じです。)

これらは先生や指導者でも特性を知らないと同じような見立てをします。あるいは知っていても集団維持のため、当事者をそう位置づけることもやむを得ないこともあるかも知れません。


このギブ&テイク意識不足には交遊だけでなく、例えば「やりたくない集団行動」などにも表れます。一般的な子だと、やりたくない事でも皆で一緒にやることで付加価値が生まれそれが意義なんだと思える。あるいは我慢することで今見えないものが得られる期待ができるなど、生産的な素養が幼少期から培われ、それがテイクになりますが、白黒特性の強い子には、その価値は感覚がありません。やりたくないことをやるのは耐えられない、馬鹿げているになります。
だから、社会お約束スキルを持っている子だとすんなり「とりあえず合わせる、やる」ことも、特性ある子には苦痛で、強要すると、「拒否」「他に周りを引き込み場を乱す」「被害者としてなら居れる」なんてことにもなり「もう、やらなくていいから邪魔しないで」になりがちです。そして大人は「もういいよ」「新しい事、やりたくない事は我慢して向き合わなくていいよ」と諦めがちに。この時に大人が感じる不毛感が「障害の方が本人を傷つけないでいられる?」の発想になるのかも知れませんね?

とは言っても多くの指導者はそう過ぎりながらも、(繰り返しになりますが)
違うよ障害はない。パーツ組み立てや抜けたところの穴埋めは、経験や感覚感知である程度はカバーできるんだから・・・・
体験と寄り添いの中でいける、それは先輩たちを見てそうだったし・・・・
だいたい、子どもの根本はやさしくて公平で純粋で出来ているのは明らかなんだし、
と言う様に考え、こちらも奮起するわけです。

当事者にとって、どうすれば安心、生きやすさを得られるのか。
今回は普段の思いの1割でも感じていること、しかも結構、後々の社会課題にもなりえることを
書いてみました。今後もいろいろな人に話を聞きたいと思います。


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とびたくん

Author:とびたくん
児童養護施設職員、学童保育指導員、主婦、保護者、元教師、大学生が仲間です。私も家族が障害に悩み不登校になった経験があります。「学校」に囚われず、学習、遊び、ゲーム、料理、イベント、わんこの触れ合いなど、安心できる場。同じ空間の住人と認め合う、何かしたくなる、知らぬ間にリズムや社会性が身につくのが理想です。安心や自信、仲間を得て、大学に進んだ子、中高復学した子、学校併用の子。さまざまです。NPO調布青少年の居場所Kiitos、NPOフリースクール全国ネットワーク、一般社団法人 発達心理ライフケア協会の皆様にご協力、ご指導いただきながら、生徒会員や保護者のみなさんと頑張っています。

2017年には教育確保法が成立、フリースクールは学校と同じ扱い、つまり学校以外の子供の教育の場と認められました。しかし、まだ国から財政支援が得られていませんので、運営側と保護者の負担が大きいままです。皆さんで国や社会に訴えて、本当の教育無償化を目指しましょう。

 →スクールのパンフレットです1  →スクールのパンフレットです2

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